成人の日に思う

今日は月曜日だが、成人の日ということで市場はお休み。成人になるということは、一人前の大人として様々な権利を手にする一方で、それなりの義務と責任も伴う。最近、成人式のあり方が問われているが、これはその前段階で「(社会人としての)権利、義務、責任」を充分に学んでいない(学ばせていない)証拠であろう。このような成人が世の中に大量生産され、「自己責任」が大前提の株式投資の世界に乱入するようなら、これはこれで問題である。未成年者に限らないことではあるが、「投資と自己責任」的なテーマを学ぶ機会が必要ではないだろうか。

さてせっかくの機会なので、未成年者と株式投資についてもう少し言及したい。「未成年者でも株式投資はできるのか」、この答えは Yes No どちらだろうか? 答えはYes 。ただし当然のことながら口座の開設には親権者の同意が必要だったりする。これは民法でいうところの行為無能力者の法律行為に準ずる扱いなのだろう。

ということなので、一定の条件をクリアすれば、高校生はもちろん中学生でも、更にいえば小学生でも、極論すれば幼稚園児でも株式投資は可能である。小学生のデイトレーダーなど想像もできないし、授業の時間帯を考えれば無理に決まっているだろうが、昨年開設されたPTSを使えば、帰宅後の取引は可能であるため、夜間専用のデイトレーダーとなることは可能である。もっと現実的な話をすると、あまり想像したくはないが、携帯電話を使えば授業の合間や給食の時間を利用し、買い注文・売り注文を出すことも出来るし、授業中であっても授業そっちのけでそんな内職に走ることは不可能ではない。いやはや凄い時代になったものだ。

そんなことにのめりこむのは「子供らしさ」の観点からどうかと思うし、親の立場からすれば自分の稼ぎを上回って親の威厳が失われるのも考えものだ。これは教師も同様である。そして何よりも「勤労の尊厳」に対する疑問をこの年齢で持たれては、親も教師もかなわない。

資源小国であり、物価高国家である日本の生きる道は技術立国ではなく投資立国かもしれない。かといって上述例の小学生のようなケースを大量に生み出す仕組みも好ましくない。社会はゴミを捨てるばかりの人では成り立たず、拾って処分してくれる人がいて初めて成立するからだ。手を汚す仕事、体を使う仕事が蔑視され、それが全て外国人頼みになってはマズい。

給与というのは(一般的には)労働の対価であるが、突き詰めれば「命の対価」である。株式投資の世界に漬かりすぎると不労所得のせいか「命」が軽くなりがちである。日本を「人の命が軽い国」にする風潮は危険だ。金融広報委員会を中心に金融教育が広がりを見せているが、「命を削って作ったお金だからこそ大切に使う・貯める・運用する」ことが置き去りにされないよう切に願うばかりである。そういえば年末恒例(何でも12月12日が「漢字の日」とのことで全国からの公募によって決まるらしい)「今年の漢字」の2006年版は「命」であった。

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